なぜ夫婦で起業しようと思ったか?なぜシリコンバレーでの安定した生活を捨て、台湾に戻り起業しようと思ったか?多くの人に聞かれました。【オルゴール】をテーマとして起業しようと思った理由、そして、自分だけの思い出が何曲でも演奏できる、世界初のスマートオルゴール「Muro Box」を開発した理由、皆さんはきっと興味を持つでしょう。そのため、スマートオルゴール「Muro Box」の起業経緯をこのブログで記録したいと思っています。
なぜ夫婦で起業しようと思ったか?なぜシリコンバレーでの安定した生活を捨て、台湾に戻り起業しようと思ったか?多くの人に聞かれました。【オルゴール】をテーマとして起業しようと思った理由、そして、自分だけの思い出が何曲でも演奏できる、世界初のスマートオルゴール「Muro Box」を開発した理由、皆さんはきっと興味を持つでしょう。そのため、スマートオルゴール「Muro Box」の起業経緯をこのブログで記録したいと思っています。
私はMuro Boxの創業者で最高技術責任者の馮振祥(Chen-Hsiang Feng)です。起業する前に初めての職場は、光栄なことにシリコンバレーのIntel本社でした。当時、起業とは何かを全然知らなく、多くの人のように、大手企業に勤めることに興奮し、光栄の至りだと思っています。同僚の中には、特に親切にしてくれる鄭さんという先輩がいました。週末にもお互いの家族と集まったりしました。仕事の経験が豊富で、歓談中も以前勤めていたスタートアップ企業での出来事をよく話しました。大手企業の安定した9時5時の生活と比べ、スタートアップ企業の物語はまるで恋愛小説のように興味深いものでした。
私がI社を辞めることにした後、ヘッドハンターを通しスタートアップ企業での就職機会を探していました。I社での仕事経験を持っており、仕事が簡単に見つかると思われるかもしれませんが、実は仕事経験が不足しているため、二ヶ月間の面接の後、ようやく私を受け入れるスタートアップ企業に出会うことができました。
このM社の創業者はMITを卒業した後、三つの企業を次々にIPOさせ、まさにシリコンバレーの起業の神様という完璧な模範です。起業の成功方法を把握しているため、M社の社長は部下に対して非常に冷酷です。社長はある人が会社に役に立たないと感じたら、即座にその人を解雇します。毎週新しく入社する人もいるし、退職する人もいます。名前さえ覚えていないうちに退社されるというのがM社に対する印象です。
当時、私も大ピンチでした。なぜかというと、スタートアップ企業にいながらも、仕事の態度はI社のままで、いつも「以前I社ではどうだったどうだった」という態度で仕事をしていたからです。もちろん、M社の社長に目をつけられ、解雇待ちのリストに入れられました。幸いなことに、私は態度に問題がありながらも、仕事の能力は社長が捨てようにも捨てられないものでした。なんとか生き残ることができましたが、このままでは危ないと分かっていました。そのため、友人の紹介を通し、三番目の会社に転職しました。大きくもなければ小さくもない従業員数200人ほどのS社です。
S社で9時5時の生活を送り、安定した収入を得ながら、仕事の後に車庫でNFCアンテナ感知制御のスマートおもちゃの起業プロジェクトに取り組む、という完璧な計画を立てました。
しかし残念ながら、実際にはS社のイノベーション開発部門に配属され、毎日マネージャーと一緒に残業し、夜中まで頑張る生活を送っていました。夜中に家に帰ってから、車庫で自分の夢を叶えようとしており、毎日わずか三時間しかない睡眠時間で、心身ともに崩壊寸前でした。
私が崩壊する前の解決策は、まさかS社が買収されたことだとは思わなかったです。会社が買収される過程で、毎日解雇された同僚たちと別れを告げていました。何度も転職してもうまくいかないのであれば、それは私が起業する運命だということではないでしょうか?では、仕事を辞め起業に専念しようと、私は強く決意しました。
当時、起業テーマがハードウェアに関わることを既に決めたので、台湾に戻り起業することを決意しました。今でもこれが正しい決定だと考えています。
台湾に戻ることは重大な決定であり、家を売ったり、車を売ったり、友人と別れたりするなど、この過程は非常に切ないものでした。その中で、最も紆余曲折の思い出は、家を売った後の翌日、車で最後のアメリカ横断の旅に出始めたことです。(私たちはアメリカ東西海岸を横断するロードトリップを四回行ったことがあります。)
ペットの鳥たちと全ての財産を持ち、カリフォルニア州からオハイオ州までの約十日間のドライブを始め、妻の筱晨に博士論文を完成させ学位を取るために、学校に戻ることにしました。しかし、旅の三日目、ロサンゼルスで友人のマークと別れた後、最も可愛がっていたペットの鳥、チューチューが長時間の移動疲れに耐えられず、この世から去りました。とうとう、私は筱晨と共に、今まで溜まっていたストレスや感情が崩れ落ち、「台湾に戻り起業することを決めないことにはチューチューは死なない」と自責の念に駆られました。その時、台湾に戻ることをやめ、サンノゼに戻り売却契約を解除することにしました。
すぐその場で、車を六時間運転し、不動産業者から鍵を取り戻した後、既に売却された家に帰りました。空っぽの部屋で、元同僚の哲均が貸してくれた仮眠マットレスに横になり、床で一晩を過ごしました。全てがまるで九年前にアメリカに初めて到着した夜のようで、空っぽの天井を見ながら、出発点に戻ったようでした。
朝まで思い悩み、寝返りを打ち、硬い床による背中の激痛を覚えました。が、私は頭がクリアになりました。チューチューの死は悲しかったですが、それは起業によるものではありません。私たちは悲しみを抱えながら、前に歩み出すべきです。その後、鍵を不動産業者に返し、この荒唐無稽な旅を続けました。
途中で、忘れられないエピソードがありました。それは、ペットの鳥夫婦であるドゥドゥとモーモー(チューチューのパパママ)を台湾に帰国させたことです。興味のある方は、こちらの記事をご覧ください。その過程は私の起業経緯と同じくらい複雑でした。
帰国後、私は一刻も休まずに、あちこち協力してくれる工場を訪れ始めました。最初のテーマはスマートおもちゃで、このコンセプトはこれと全く同じでしたが、タコのぬいぐるみを替え、木材で同じ機能を実現したかったのです。
なぜ、このスマートおもちゃのテーマを続けなかったのでしょうか?副次的な理由は、私が初めて工場と交渉したことで、製品の生産にかかるコストに驚き、生産が思ったよりも簡単ではないことに気づいたからです。
そして、主な理由は、スマートおもちゃは本質的に間違った方向だと、私と筱晨が突然に気付いたからです。なぜなら、どのようにスマートおもちゃを設計しても、最後に子供たちをスマホやタブレットに誘導するものであり、デジタル機器に早く触れる子供は、人格形成や感情の発達に問題が発生するおそれがあるからです。メーカーがどれだけ言い繕おうとしても、幼い子供たちにデジタル機器を使わせるべきではありません。
したがって、スマートおもちゃをやめ、新たなテーマを探し始めました。
実は最初から、テクノロジーと文化的な題材を組み合わせることを目指していました。当時、私の方法は、文化クリエイティブの集積地である松菸文創ビルでテーマを見つけることでした。
当時、松菸でオルゴールを販売しているお店が「知音文創、風潮音楽、聴見幸福」三つあることに気付きました。そして見ながら回したら、オルゴールは全て機械式で、電動ではなかったことに気付きました。が、電子技術は私の専門です。それに、三つのブランドショップともオルゴールを販売しているのなら、市場があるはずです。「私の専門だし、市場もあるし、それだ!」とテーマを見つけました。
私と筱晨がオーストリア留学で初めて出会った時に、あるオルゴールを買いました。残念ながら、それはモーツァルトの小夜曲の一部しか演奏できず、他の曲に変えることができません。それで、何年も倉庫に忘れられました。この繋がりにより、オルゴールをテーマとして起業することを決意しました。私たちの共通の思い出をオルゴールで演奏したいと思っています。そうすれば、もっとオルゴールを回したくなるでしょう。
当時、私たちの共通の思い出のある、王力宏(Leehom Wang)の「柴米油鹽醬醋茶」という歌がふと思い付きました。この歌を思い出すたびに、台湾で開催される結婚式のために、カリフォルニアの家で何か月も一生懸命弾き唄いの練習をしていたことを思い出します。歌が苦手な筱晨がよく私に指摘され、グーグー(亡くなったペットの鳥)が私の手に乗り、練習を聞いてくれたものです。
知音文創のHPで、台湾にはオルゴールムーブメントのメーカーは一社しかないことを偶然に発見しました。それは、協櫻精密工業(Kyooh Precision Industry Co., Ltd.)です。その40年間の製造経験を持つ会社が私と連携し、開発していただくように、私は自ら台中へ訪問することにしました。
初めて協櫻会社を訪問した日は、父と一緒に行ったのです。なぜなら、私が初めて大手企業と連携開発について打ち合わせするので、父は私が対応できるかどうか心配で、私と一緒に行きたがっていたからです。その日、私と父を出迎えたのはこの間定年退職になった黄次長でした。若者と年配の方が一緒に訪問しているのを見て興味を持った彼は、私たちを招き入れてくれました。もしその日、父が一緒に訪問していなければ、黄次長は多分私がただの営業マンだと思い込み、すぐに私を帰らせたかもしれませんでした。
打ち合わせの中で、新製品の開発におけるリスクと困難さを理解している黄次長から、何度もオルゴール市場の動向をしっかり再調査するように忠告されました。初めての起業で間違った方向に進んでしまい、家を傾けるような事態にならないでほしいからです。
協櫻会社を出る前に、黄次長が私に『天空の城ラピュタ』の18弁タイプのオルゴールムーブメントを25個もくれました。私にこちらの部品を利用させ、製品開発のテスト、オルゴールの設計そして市場調査をさせるためです。
製品開発をしてきた道のりを顧みると、起業初期においてアドバイスやサポートをしてくれた黄次長に心より感謝しています。もしその日、彼が協櫻会社の扉を開いてくれなかったら、私は40年間のオルゴール製造経験を持つメーカーと連携する機会を得るわけがなく、世界初のスマートオルゴール「Muro Box」を量産するわけもありませんでした。
皆さん、本記事のオルゴールに興味を持っていますか?イノベーション技術と相まって開発されたオルゴールは、どのようなものでしょうか?実は、この物語は始まったばかりで、最後に顧客に認められる品質までMuro Boxを開発するのに5年かかりました。
現在、弊社のオンラインショップにあるN20 Liteは、そのムーブメントが最新の設計ですが、外観は初代の量産品(zeczecバージョン)のままです。ゼロから開発されたMuro Boxの物語をご覧いただけますと幸いです。スマートオルゴール「Muro Box」について詳しく知りたい方は、オンラインショップのほうへどうぞご覧ください。どのように音楽で世界50か国のユーザーやオルゴールファンの心を打つか、ぜひご覧ください。
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